『合葬(がっそう)』

杉浦日向子・著
定価447円+税
筑摩書房 (TEL:03-5687-2687)
 

《ハ・ジ・マ・リ

「……このきせるはちょいと面白いね、アノー上野の戦争の時分にゃ随分驚いたね、エエ!?ウン、雁鍋の二階から黒門へ向って大砲を放した時分には、のそのそしてられなかったァな、ウン、買いたくねぇきせるだな。」

ご存知志ん生の火焔太鼓のまくらです。天道干の道具屋をひやかす客の世間話の中に上野戦争がひょっこり出て来て、とても不思議なそして身近な親しみを感じました。

『合葬』は上野戦争前後の話です。描くにあたり、この志ん生のまくらを終始念頭に置くようにしました。四角な歴史ではなく身近な昔話が描ければと思いました。
彰義隊にはドラマチックなエピソードが数多くあります。勝海舟、山岡鉄舟、大村益次郎、伊庭八郎、相馬の金さん、松廼家露八、新門辰五郎、関わるヒーローもたくさんいます。
が、ここでは自分の先祖だったらという基準を据えました。隊や戦争が主ではなく、当事者の慶応四年四月~五月の出来事というふうに考えました。

この選択に悔はありませんが、好結果となったかどうかは心もとない限りです。

江戸の風俗万般が葬り去られる瞬間の情景が少しでも画面にあらわれていたら、どんなにか良いだろうと思います。

著者 》
「合葬」というタイトルがまずスゴイ。
幕末というドトーのわずか数年間の出来事は、今まで実に多くの人々によって実に多くのヒーローに託されて、何やらとてもカッコよさげに書かれてきた。
だが、杉浦日向子は、ごくフツーの人の目線で長い長い日曜日であった「江戸の全てが葬り去られる」瞬間の風景を切り取ってみせた。
上野戦争の名もない彰義隊の話である。
彰義隊は当時「情人にもつなら彰義隊」と言われたように、旗本の年若い次三男坊が多く白袴の凛々しい姿にファンも多い。
しかしこれは、そんな華々しいヒーローの活劇ではなく、ただ淡々と市井の日常をつづっているだけだ。
今でも上野あたりでの“先の戦争=上野戦争”(第二次世界大戦ではなく)という図式が、思わず納得させられてしまう。
因ちなみに会津では“先の戦争”というと会津落城を象徴とするこの戊辰戦争のことを言う。
江戸が単に歴史の教科書に書かれている暗記すべき符号ではなく、私たちが生きている今この時代の地続きであったと感じられる話なのである。
今回紹介した本は武術の実際とは離れているが、明治以降の急速な西欧化によって失われてしまった感のある武術を捉えかえす上で、一見に値するのではないかと思う。最後に作者の後書きを記して本稿を終える。 

《日曜日の日本 杉浦日向子

江戸時代というと何か、SFの世界のように異次元じみて感じられます。
自分の父祖が丁髷ちょんまげを結ってウズマサの撮影所のような町並を歩いている姿など実感がわきません。がたしかに江戸と現代はつながった時の流れの上にあり、丁髷の人々が生活した土地に、今わたしたちもくらしています。
遠いところの遠い昔の話のようでも、この場所でほんの百二十年前の父祖たちの話なのです。
私の大好きな、そして大切な篠田鑛造氏の著書の中に「明治維新の新体制は、極めて強圧なものであった。どう強圧であったかは、江戸期の旧文物を片端から破砕して、すべて新規蒔直しといった時代を建設したからである。」とあります。江戸期の風俗・文化に触れる時、この百二十年間の猛進は何だったのだろうと、ふと思います。
藤村が「夜明け前」を著あらわしたように、近世つまり江戸は〈暗黒の時代〉のように思われがちです。芳賀徹氏はこれに対し、近世が日曜日であり、近代=明治維新は〈月曜日の夜明け〉だとたとえています。私はこの云い方がとても好きです。
日曜日の日本に生きた父祖たちに会いたい、縁側でお茶でもすすりながら話をしたいと思っています。
私がこういう作業をしていく原動力は、この〈想い〉に他なりません。
〈日曜日の昔話〉、これからも拾い集めていきたいと思っています。》

【注】この漫画は1982~83年に『ガロ』に掲載され、青林堂から発売されていたが、今は筑摩文庫の一冊として販売されている。本稿は青林堂版を基にしてる。

『ワールド空手』2000年2月号

 

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