武と知の新しい地平―体系的武道学研究をめざして―

身体運動文化学会・編
定価2,500円+税
昭和堂 (TEL:075-761-2900)
 

本が売れなくなったと言われて久しい中、武道・格闘技の分野は意外に健闘しているようだ。しかし、他分野からの進出組を含め、粗製濫造の感がある我が武道出版界。しかも、何やら宗教的な匂いのする「武道書?」がバカ売れしている現状に危惧を感じざるを得ない。
武術修行者にとって大切なことは、良師に出会い、日々の鍛練を通して技を磨き、強さを身につけることであろう。そうすることによって人としての生きる道を見いだすことに意味があると私は想っている。
「触れずに飛ばす」とか「科学的」といった類いの幻想に騙されてはいけない。人間の肉体の営為はそんな科学や宗教で簡単に解説できるようなものではない。何の為の修行かを自問すれば、自ずと答えは視えてくるはずなのだが……。
今回紹介する『武と知の新しい地平』は、新聞の書評欄に載っていた武道関連書を探していて、たまたま歴史書のコーナーで見付けたものである。
《本書は、1997年7月に、ハンガリーで開催された第35回ICANAS(International Congress of Asian and North African Studies アジア・北アフリカ研究国際会議)においておこなわれた武道学シンポジウムをもとに、先生方に発表原稿を加筆・修正していただいて作成したものである。
ICANASは、第一回の会合が1873年にパリで開催されて以来、3年から4年ごとに世界各地で開催されてきた東洋学研究では世界でもっとも権威のある国際会議である。
1983年には日本で第31回の会議があり、前回は1993年、第34回会議が香港で開かれた。
今回の第35回会議は、ハンガリーの首都ブダペストにおいて、ハンガリーの東洋学会であるケーレシ・チョマ・ソサイアティーとエォトヴェシ・ローランド大学(通称ブダペスト大学)が主催機関となり、ハンガリー大統領の後援を得て開催された。
本シンポジウムは、日本学セクションの中に設けられ、日本学における武道学という位置づけで、最新の武道学研究の発表がおこなわれた。
メンバーとしては、高橋進先生を代表に身体運動文化学会を母体とした12名(日本側9名とハンガリー側3名)の研究者で組織された。内容としては、統一テーマとして「武道研究―その意味と展望―」を掲げ、高橋進先生の基調講演からはじまり、順次、発表と討論がおこなわれた。
会場からは、ハンガリー人の研究者等から思いもよらないような専門的な質問が出され、武道学研究の関心の高さとヨーロッパにおける日本学研究のレベルの高さを垣間みた気がした。》―〈あとがき〉より抜粋―
掲載されたタイトルを以下に列記することによって、執筆者の問題意識を探ってみよう。
(1)日本の武道と伝統文化 /高橋進
(2)近世武芸における心身観 /前林清和
(3)「習」と型の相関 /加藤純一
(4)弓術における技と心―日本の弓射 文化の特性― /入江康平
(5)刀剣観にみる日本人の精神性/酒井利信
(6)武士の思想についての若干の考察―二つの心法論― /山地征典
(7)東アジア世界における「士」の諸相について /佐藤貢悦
(8)佐久間象山における武の精神と砲学 /小林寛
(9)松平定信の武芸観とその政策/菊本智之
(10)ヨーロッパにおける武道理解/サボー・バラーシュ
(11)日朝関係史における日本の刀剣技/大石純子
(12)ヨーロッパにおける東洋的概念指 導の問題―剣道指導を通じて―/阿部哲史
◎ICANAS武道学シンポジウム座談会
執筆者はいずれも大学等で教鞭をとる研究者だが、「武道学研究が、プレイ武道の人々と離れてはいけない」という立場からの発言であり、それぞれ非常に興味深い内容を記している。
本稿では誌面の都合上(1)「日本の武道と伝統文化」と(2)「近世武芸における心身観」の一部を紹介しよう。
(1)では、《東アジアにおける文化形成の基層には、「道」の思想があって、とくに日本は、それが学問・技芸などの文化の成立や完成に貢献するところが大きかった》として、中国の漢字の解説書や儒家と道家の思想から「道」の意味をひもとき、日本における武術と「道」の文化を考察している。
まず、道のもっとも古い意味は、「人がひとすじに踏み歩いて、それかがおもてに、かたちをなしてあらわれたもの」と記されているとしている。そして、さまざまな人が、さまざまの「みち」を歩む。その意味を全体的・抽象的にまとめて、「道は、あらゆる人がそれに拠り従うべきもの、人の生き方のすじみち」とされるようになったのである。
さらに「武」を考える上でもっとも重要なことは、「人をも含めて、もの・ことは、たがいに相待ち合って存在し、ひとつとして孤立しては存在しない」という思想だ。
(2)では、西洋の《デカルト的心身二元論は、私たちが日常経験する心や身体、さらに心身の相関を説明することができない》とし、《わが国の武芸は、まさにこのような「生きた人間」を実践を通じて体験し、それをもとに、武術という技を中核とした身体と心の問題をみきわめて体系化し、さらにそれを「人の道」にまで昇華させてきた》との観点から武芸と心身観を記している。
武術を東洋・日本の文化として捉え、武道学として確立しようとする研究者が、実践者との共同作業を提起している本書を心より推奨したい。また、実践者の奮起を促すとともに次の言葉を贈る。
「心こそ 心まよはす 心なれ 心に 心 心ゆるすな」

『ワールド空手』2000年6月号

 

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