『新訂 孫子』

金谷 治・訳注
定価500円+税
岩波書店 (TEL:03-5210-4000)
 

『七書』として中国の兵書の代表とされるものに、『孫子』『呉子ごし』『司馬法』『尉繚子うつりょうし』『李衛公問対りえいこうもんたい』『黄石公三略』『六韜ろくとう』がある。
それら『七書』の中でも『孫子』十三篇は、中国の最も古い、最もすぐれた兵書と云われている。『孫子』は日本にも他の書物同様、古くから伝わり、とりわけ戦国期以降では極めて広汎な影響を及ぼした。わが国の兵法もまたこの書を抜きにしては、その発展のあとを辿ることはできない。
戦国の武将・武田信玄で思い浮かぶのが「風林火山」であるが、この元になっているのも『孫子』軍争篇三の一節である。
『孫子』の作者は、春秋時代に呉王の闔廬こうろ(前514―497年在位)に仕えた孫武だとされているが、諸説がある。
『孫子』の内容は十三篇((1)計篇(2)作戦篇(3)謀攻篇(4)形篇(5)勢篇(6)虚実篇(7)軍争篇(8)九変篇(9)行軍篇(10)地形篇(11)九地篇(12)火攻篇(13)用間篇)に分かれている。
本書は古代中国の戦いの術を記しているのだが、それだけではなく、時代や場所を越えて、人生の在り方をも示唆する深い思想的なものがみられる。また武術修行者にとっても大いに学ぶべきものがある。
極真会館最高顧問・盧山初雄師範もまた、その著書の中で以下の言葉を紹介している。
《彼れを知りて己れを知れば、百戦して殆あやうからず。》(謀攻篇五、地形篇五)
《百戦百勝は善の善なる者に非あらざるなり。戦わずして人の兵を屈くっするは善の善なる者なり。》(謀攻篇一)
その内容は師範の著書『武道のススメ』(気天舎)を参照して頂くとして、ここでは更に本書の内容を誌面が許す限り紹介しよう。
《兵とは詭道きどうなり。故に、能のうなるもこれに不能を示し、用なるものこれに不用を示し、近くともこれに遠きを示し、遠くともこれに近きを示し、利にしてこれを誘い、乱にしてこれを取り、実にしてこれに備え、強にしてこれを避け、怒にしてこれを撓みだし、卑にしてこれを驕おごらせ、佚いつにしてこれを労し、親しんにしてこれを離す。其の無備を攻め、其の不意に出いず。此れ兵家の勢せい、先きには伝うべからざるなり。》(計篇三)
この意味は《戦争とは詭道―正常なやり方に反したしわざ・・・―である。それゆえ、強くとも敵には弱く見せかけ、勇敢でも敵にはおくびょうに見せかけ、近づいていても敵には遠く見せかけ、遠方にあっても敵には近く見せかけ、[敵が]利を求めているときはそれを誘い出し、[敵が]混乱しているときはそれを奪い取り、[敵が]充実しているときはそれに防備し、[敵が]強いときはそれを避け、[敵が]怒りたけっているときはそれをかき乱し、[敵が]謙虚なときはそれを驕りたかぶらせ、[敵が]安楽であるときはそれを疲労させ、[敵が]親しみあっているときはそれを分裂させる。
[こうして]敵の無備を攻め、敵の不意をつくのである。これが軍学者のいう勢であって[敵情に応じての処置であるから、]出陣前にはあらかじめ伝えることのできないものである。》
これは集団戦での常道を言っているが、ケンカでも同様であり、試合においても充分応用できる基本と言える。無論、先に自己鍛練の裏付けがあっての戦術であることは言うまでもない。
《故に勝を知るに五あり。戦うべきと戦うべからざるとを知る者は勝つ。衆寡しゅうかの用を識しる者は勝つ。上下の欲を同じうする者は勝つ。虞ぐを以て不虞を待つ者は勝つ。将の能のうにして君の御ぎょせざる者は勝つ。此の五者は勝を知るの道なり。故に曰わく、彼れを知りて己おのれを知れば、百戦して殆あやうからず。彼れを知らずして己れを知れば、一勝一負す。彼れを知らず己れを知らざれば、戦う毎ごとに必ず殆うし》(謀攻篇五)
この意味は《そこで、勝利を知るためには五つのことがある。[第一には]戦ってよいときと戦ってはいけないときとをわきまえていれば勝つ。[第二には]大軍と小勢こぜいとのそれぞれの用い方を知っておれば勝つ。[第三には]上下の人々が心を合わせていれば勝つ。[第四には]よく準備を整えて油断している敵に当たれば勝つ。[第五には]将軍が有能で主君がそれに干渉しなければ勝つ。これら五つのことが勝利を知るための方法である。だから、「敵情を知って身方の事情も知っておれば、百たび戦っても危険がなく、敵情を知らないで身方の事情を知っていれば、勝ったり負けたりし、敵情を知らず身方の事情も知らないのでは、戦うたびにきまって危険だ。」といわれるのである。》
これも集団戦での常道を言っているが、個人戦でも同じである。
《乱は治に生じ、怯きょうは勇に生じ、弱は彊(強)に生ず。治乱は数なり。勇怯は勢なり。彊弱は形なり。》(勢篇四)
この意味は《混乱は整治から生まれる。おくびょうは勇敢から生まれる。軟弱は剛強から生まれる。[これらはそれぞれに動揺しやすく、互いに移りやすいものである。そして、]乱れるか治まるかは、部隊の編成―分数―の問題である。おくびょうになるか勇敢になるかは、戦いのいきおい―勢―の問題である。
弱くなるか強くなるかは、軍の態勢―形―の問題である。[だから、数と勢とに留意してこそ、治と勇と強とが得られる。]》
空手で考えると、剛強な「体」を日々の鍛練からつくり、組手で勇敢な「心」を養う。その拠り所として正しい「技」を身に付けることが肝要となる。
では、具体的にどうすれば良いのか。それは盧山師範の言う型の重要性である。型の中には全ての要素が含まれている。正しい突き、蹴り、運足、そしてスピードとタイミングがあってこそ華麗な型が表現出来る。この型練習の中にこそ強さの秘密が隠されていると思うのだが……。
いずれにせよ、『孫子』は修行者にとって一読に価する最古の兵書だ。

『ワールド空手』2000年7月号

 

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