太気拳 ~拳聖澤井健一先生の遺した心技~

純粋に、武道一筋に生きた澤井健一先生の
生涯の記録はそのまま“武道哲学”となり得、
武の道を志す者に
新鮮な息吹を投げかける……。

太気至誠拳法

不思議な身体の動き、効果があるのかないのか、まったく見当のつかない技ばかりである。はたしてこれが技といえるのだろうか? 立禅(りつぜん)・揺(ゆり)・這(はい)・練(ねり)・探手(たんしゅ)、耳慣れぬ用語。異様な稽古風景ばかりが目についた。
だが、普段着のまま写っている老人の姿に魅せられた。意志の強そうな目、勝ち気な口元、バランスのとれた身体の動き(手足の位置と腰の安定性)、凄まじい気魄。まさに攻め込もうとする刹那の表情は獣そのものだ。
22年前、私たちはある機会を得て『実戦中国拳法・太気拳』(日貿出版社刊)という技術書をつくることになった。私は中国拳法に接するのはそのときが初めてだった。柔道を少しかじった程度の私には、固定化された空手の概念でしかその拳法を判断できなかった。したがって写真を見てもその動きの意味が理解できなかった。

武道の神髄

その後、私は神宮の森へ通った。その拳法の心意を己の目で、膚で感じとろうと思ったゆえ。むろん付け焼き刃では何もわかるはずがない。だが心の目を通して見詰めれば、糸口くらいは見えるだろう。
季節は盛夏。神宮の森は佐藤嘉道、澤井昭男、岩間統正の各氏を中心に、オランダからやってきたカレンバッハ、スタッパ、フランスのトルードの各氏を含む十余名の拳士たちで活気を帯びていた。
各自が思い思いに一人稽古をしている。その間、澤井先生はそれぞれにアドバイスを施して歩く。一通り各自の稽古が終わると組手に入る。顔面攻撃、金蹴り、何でもありというぶち合いである。
世界のトップクラスの闘いは、静けさの中にも殺気を帯び、闘いの炎となって燃え上がっている。幾度も立ち合いが続いた。
闘い終えると、先生の講評が身をもって示される。その後喫茶店に場を移し、先生を囲んでの武術談義に花が咲く。

拳聖への道

澤井先生は幼い頃より武術を愛し、柔道・剣道・居合道等の修行に励んだ。志を抱いて1931年、28歳で中国に渡った。
修行途上で意拳の達人・王向齋先生に出会い、立ち合いの結果歯が立たず、その場で弟子入りを決意。「外国人は弟子に持たず」と拒否されるも、執拗に入門嘆願を続けて入門を許された。以来、この中国拳法の修行に励んだ。
1947年王向齋先生の許可を得、新たに太気至誠拳法(太気拳)を創始して日本に帰った。帰国後は、師の教えを守って道場を持たず、自然の中で稽古することを主義とし、森の中で修行をした。
また、「太気至誠拳法」宗師としてその優れた拳法理論と実力を慕って集まった弟子に真の中国拳法を指導した。正統に意拳を受け継いだ武道家として知られ、太気拳は他流派の高段者が己の修行に取り入れていることでも注目されている。

残念ながら1988年7月16日、拳聖澤井健一先生はその波瀾万丈の生涯を閉じた。

永遠なる魂

残された者の悲しみは深い。しかし、その偉大な技と魂は遺った。現在、佐藤嘉道氏をはじめとする弟子たちにその技と心は受け継がれた。また日本国内だけではなく、オランダのカレンバッハ氏を筆頭に世界の拳士に受け継がれようとしている。
さらに弟子から弟子へと受け継がれていくであろうし、そうあってほしいと願う。技が継承されていくことは至難ではあるが、少なくともその魂は永遠に語り継がれるであろう。
夢見る少年の瞳と獲物を狙う獣の眼差しを持ち、武道一筋に生きた超人。“人間は光の原点にならねばならない”という先生の強さに起因する限りない優しさ……。
私が最も敬愛する心の師、拳聖澤井健一。先生の武術家として、また人間としての心と太気拳の技が永遠に継承されることを願ってやまない。

(本稿はスポーツライフ社刊『闘いの中で』に掲載された筆者の拙文と気天舎刊『拳聖澤井健一先生』を参考資料として構成・執筆しました)
『フルコンタクトKARATE』1998年7月号

『拳聖澤井健一先生』
佐藤嘉道・著
定価2,520円(税込)
発行=気天舎(TEL:03-5976-0621)

 

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